血管外科・・・?何やるの?

医師 浦山 弘明

この度、思いもよらず当院の大橋、永井両先生のお誘いをいただき4月から血管外科診療を開始させていただくことになりました。これまで前病院の外来に通院されておりました患者さん共々に感謝申し上げます。大変ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

まずは自己紹介から始めます。1985年信州大学医学部卒業し、第一外科に入局しました。当時第一外科は消化器班(消化管グループ、肝胆膵グループ)、小児班(小児外科)脈管班(血管、乳腺、その他腫瘍外科)の3班あり入局後5年目まで2回ローテーション、関連病院2年研修して希望する班に固定することになっておりました。私は消化器外科医を目指して勉強しておりました。入局4年目は駒ケ根市の昭和伊南総合病院に勤務し日夜消化器外科の手術に没頭しておりました。オーベンの先生は前任の病院で消化器外科手術を多数経験しており、関心は消化器外科から呼吸器外科に移っており、肺の手術に情熱を燃やしておりましたので胃癌・大腸癌の手術は私に術者の位置に立たせてくださりました。時には手をたたかれ、怒鳴られながらも特訓を受け、私は外科医としての基礎を築くことができました。今でもその時のオーベンの先生に感謝しております。

このまま順調に行けば(?)消化器外科専門医になっていたはずだったのですが、転機が訪れたのは年号が昭和から平成になって間もない平成元年2月下旬のことでした。腹痛とショック状態で緊急入院した患者さんを担当することになり、腹部CT検査をしたところ腹部大動脈瘤の破裂とわかりました。当時動脈瘤の手術は大学病院でしか行っておりませんでしたので、大学に電話し脈管班の先生にお願いしたところが、理由はともあれ受け入れできないと断られてしまいました。他もあたってみましたがだめでした。途方にくれていたところへ循環器内科のE先生が「甲府に心臓血管外科の知り合いの先生がいるけど電話で聞いてみる?」と声掛けしてくださったので、わらをもすがる思いでお願いしましたところ、「受け入れ可能」と返事をいただきました。急ぎ救急車に患者さんを乗せ、私も同行し甲府の某病院に向かいました。病院に到着するとそのままOPE室に直行、スタッフがすでにスタンバイしておりすぐに麻酔導入されました。執刀医のT先生が家族に説明しOPE開始となりました。順調に手術は進み3時間程度で人工血管置換術は完了し閉腹操作になったところで、私はOPE室を後にして駒ケ根に戻りました。

この経験で2つの衝撃を受けました。一つは長野県の患者さんを隣の山梨県まで搬送し手術をしてもらわなければならなかった悔しさと、もう一つは執刀医のT先生が淡々とまるでごく普通の手術をこなしているかの姿を拝見したことです。3月半ばその患者さんは自分で歩いて退院し無事駒ケ根に戻ってきました。その頃、信大での動脈瘤破裂の手術成績は十分とは言えませんでした。

この私にとっての重大事件で「動脈瘤破裂の手術は自分がやる」と決意し

血管外科の道を選びました。

 4月大学に戻りましたが、第一外科は昭和626月から足かけ3年目の教授不在が続く異常状態でした。そんな中、「教授選考に国立がんセンターの幕内先生が候補に挙がっている」と聞きました。どうせ「客寄せパンダ」で名前が出ているだけだろうと思っていたところ、まさかが本当になり、第3代教授に幕内雅敏先生が決定しました。平成元年10月に兼任で教授就任され医局に登場しました。全員医局に集合し幕内教授の就任あいさつとなりました。開口一番「おれがこの大学に来た最大の目的は肝臓移植をやるためだ。来年4月専任になったらすぐに移植を始める。いまからProf.Starzl(肝臓移植で世界的に有名な米国の教授)の教科書『Liver Transplantation』をよく読んで勉強しろ!」と宣言されたのです。これまで第一外科では移植の研究は全く行っておらず、まさにゼロからの出発となりました。早速教科書を全員で分担して和訳して医局版の翻訳本を作成し、勉強会が始まりました。私と同世代の医局員は多くが移植班、肝臓班、小児班に所属することになりました。土日には幕内教授と一緒に動物実験で肝移植のトレーニングが開始されました。私も参加しましたが、「血管外科医になる」という思いに変化はありませんでした。

平成2年4月教授が専任になると同時に私は医局の人事でNTT(現NTT東日本)長野病院に移動となりました。私にとって血管外科医のスタートはこの長野市での診療からでした。NTT長野病院の医局であいさつした時の事です。内科の某先生から「先生は外科でも何が専門なの?」と問われましたので、「血管外科を勉強してます」と答えました。そうしましたらその先生は、怪訝な顔で「けっかんげか・・・?それ何?何するの?」とおっしゃったのです。この文章のタイトルはこの内科の先生の名言(迷言?)なのです。名誉のため、この先生はまじめに診療されており、その後出身大学(他県の国立大学)の講師として戻られました。当時、「血管外科」といっても医師を含め医療従事者にもまだ認知されておりませんでした。まして患者さんや一般の方には存在すら知られておりませんでした。だから私は「消化器外科医になり損ないの欠陥外科医、薮医者ですよ」と患者さんに冗談まじりに話しておりました。

それから23年間が経過しました。腹部大動脈瘤の待機手術は胃癌、大腸癌、乳癌などの手術成績と同等に安全なものとなり、私が信大在職中に学会で発表した成績で、破裂例でも80%の救命率となりました。さらに2000年以降血管外科領域でも血管内治療の技術が急速に進歩してきました。胸腹部大動脈瘤にステントグラフト内挿術、下肢動脈閉塞症にバルーンやステントによるインターベンション治療など心臓の冠動脈領域と同じようにカテーテル治療が盛んに行われる時代になりました。一方、静脈疾患では下肢深部静脈血栓症が「エコノミークラス症候群」と呼ばれマスコミでも取り上げられ一般の方にも広く知られるようになりました。

下肢静脈瘤は古くは古代ギリシャの時代から記録にある起立歩行の人間特有の病気です。かつて治療法は鼠径部から足関節までストリッパー(踊る人ではありません!)を使って大伏在静脈を全部抜去する手術が一般的でした。しかしこの手術の合併症に伏在神経損傷とういう厄介な問題があり発生率はわずか数パーセントと報告されているのですが、長年にわたり知覚異常や知覚過敏の後遺症が残ります。私も20年以上外来で見ている患者さんがおります。外来にくるたびに「足にチクチクと針をさされるように痛みが走り、夜も時々目を醒すことがある」と訴えられるのです。この問題を回避するために1990年代に硬化剤を静脈瘤に注入する硬化療法が日本に導入されました。一時盛んに硬化療法が行われましたが再発率の高いことから適応が制限され、現在では再び抜去術が行われております。但し以前と同じではなく鼠径部から大腿部や膝関節上下までの選択的抜去術が主流になっております。また昨年から大伏在静脈レーザー焼灼術が保険適応となり注目を集めております(都会のクリニックでは盛んに行われております)。

今では患者さんから「この病院には『血管外科』の先生がいると聞いたので来ました。」と、多くの方が「口コミ」で来院される時代になりました。

 以上つれづれなるままに書きとどめました。お暇つぶしにお読みいただければ幸甚です。東口病院では主に静脈瘤、下肢静脈うっ滞性難治性皮膚潰瘍、リンパ浮腫などの治療や下肢閉塞性動脈硬化症に関連する高血圧、糖尿病、脂質異常症いわゆるメタボリック症候群など内科的治療も行わせていただく予定です。

受付では毎月一度、保険証の提示をお願いしております。

また、保険証番号・住所・電話番号等が変わった場合にも、随時受付職員までお知らせください。

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